Complete text -- "24時間、「押し付けの感動」では駄目だと思います。"
22 August
24時間、「押し付けの感動」では駄目だと思います。
9月に会社の行事で高尾山ハイキングが行われることになり、山慣れしている人間ということで、スタッフ兼ガイドにご指名がかかりました。高尾山域は、かつての「虫写真」のメインフィールド。
必然的に、色々「コア」なスポットを知っていますけど、それもガイドしていいですか?(爆)
あ・・・世話役さんの目が笑ってないのでやめよ・・・(^^;)。
では本題です。
今週末に迫っているようですので、書いちゃいましょう。
多くの人に眉をひそめられるかもしれませんが、私は、日テレの24時間テレビが大嫌いです。
ずっと嫌いだったわけではなく、数年前くらいから、マラソンだの何だの、変なチャレンジコーナーが次々乱立し始めた頃から大嫌いになりました。
それ以前の24時間テレビは、障害を持った皆様の、その日その日を精一杯、笑顔を忘れずに生活している姿を紹介し、私たち健常者(と、この言い方も微妙に差別感を感じるので、あまり適切とは思えないのですが・・・)には何でもないことが、とても大変なことなのだ、と再認識させられた後に、少しでも手助けを・・・という趣旨の演出が多かったように思われます。
そして確かにその頃は、素直に募金したいと思いました。
しかし、最近の、厳しいハードルのチャレンジを、芸能人や障害を持つ皆様に押し付けて、「クリアできた、凄いでしょ、感動するでしょ、だから募金して!」という流れの話になっている演出では、はっきり言って、あまり見るべきものがないと感じています。
だって、あれじゃあ障害を持つ皆様を、見世物にしているようなものじゃないですか!
あまりにその方向がエスカレートした場面では、「面白い見世物が見れただろ?だったら木戸銭入れろよ」と、そう言われているような気がして、ムカついてくることもあるくらいです。
まあ、当たり前ですが、演出側にそんな意図は一切ないと思いますけど。
(ですから、どう考えてもこちらの受け取り方が悪いのですが、今のあの状態は何とかならないんでしょうか?と、そう思ってしまうわけで・・・)
とにかく、そんな押し付けの感動では全く表現できていないことで、私がいまだに覚えていることがあります。
それは、とあるバラエティ番組で、健常なタレントさんが目隠しをして、介助犬の誘導を頼りに目的地まで行くという企画での出来事です。
タレントさんは目が見えない状態ですから、介助犬に誘導されていても当然、すぐに道に迷います。
困っている時に、「お手伝いできますか?」と声をかけてきた人に道を聞き、色々あった末に、やっと正しい方向がわかりました・・・が、その人と別れて数秒後の、タレントさんの本音がポロッと出たような一言。
「『あっち』って言われても、目が見えてないと、全然どっちかわからんなー」
これが忘れられません。
テレビでは笑いの効果音が被っていましたが、私はこの一言が、妙に気にかかりました。
私も視覚に障害を持つ方に道を聞かれたとき、「あっちの方・・・」と指をさし、「右ですか、左ですか」と聞き返されたことがよくあったからです。
確かに、目が見えない方に、指差しの方向指示は理解していただけるはずがないですよね・・・(その指先がどこを向いているのか、見えないのですから)。
こういう時は、「まっすぐ行って、音が鳴る信号の角を左に曲がって」と、言葉で示さないと駄目なんですよね・・・と、ちょっと小さなことですが、意外に大事なことを学んだと思いました。
(ただし、番組中で率先して「お手伝いできますか?」と声をかけた方の、その行動は素晴らしいと思いますよ)
そして、その時思い出したのが、以前の24時間テレビの、障害を持った皆様の一日に密着するレポートVTRです。
あのレポートの中には、今の年齢になってから見れば、もっとたくさん、「あれ?そうか!」と思わされる一瞬があるはずなのです。
その一瞬のために何か手助けをしたい。それが、本当のチャリティーではないのでしょうか?
それを、チャリティーとは関係ないチャレンジ企画により、「感動の押し付け」にしてしまったのは、あくまでも「チャリティー」という目的の番組には相応しくないと思います。
(こういう考え方、間違ってるでしょうか?でも、私は24時間、見世物のように繰り返される、「押し付けの感動」には、もううんざりなのです)
あ、ちなみに、私も募金の方は、気付いたらなるべくするようにしています。
コンビニで、お釣の端数の1〜5円をチャリチャリと・・・という程度ですけど(^^;)。
22:17:00 |
yo-ta |
|
TrackBacks
Comments
コメントがありません
Add Comments
トラックバック