Archive for 16 January 2005

16 January

明日で阪神・淡路大震災から10年。

 阪神・淡路大震災から、明日で10年。
 もう、そんなに経ってしまいますか・・・。

 当時、私は愛媛県(松山市内)で気ままな学生生活を送っていました。
 愛媛県松山市の震度は3〜4程度だったと思いますが、生まれてから当時まで、地震の少ない地域(夜に地震があったら、翌朝の友人との話題は「地震」という土地柄)に住んでいたため、たかが震度3〜4でも、そんな揺れを体験した回数は、片手に足りていたと思います。
 まだ夜も明けぬ薄闇の中、安物のパイプベッドがギシギシきしみ、本棚などの家具が壁に当ってゴンゴンと音を立てています。その揺れで起こされた私は、ベッドの枠につかまってぼんやりしていただけです。それが地震だと気付いたのは、揺れがおさまったあとでした。
 私は震度3〜4でこの有様でした。神戸の皆様が震度7の揺れを体験された時の衝撃は、どれほどだったことか・・・。

 そして、私の郷里福井や松山市は、土地柄、京阪神地区との結びつきが強い地域でもあり、神戸に住んでいる親戚、神戸出身の友人もいました。
 私の身近な所では、大叔父一家、サークル仲間、ゼミ仲間とゼミの講師の実家がそれぞれ被災しました。
 特に、ゼミ仲間の実家は被害が大きく、家屋がほぼ全壊していたそうです。彼はその後一年間、休学して実家の手伝いをすることになりました。
 その休学の間にもらった電話で、彼が一言、こう言いました。

 「俺、子供の頃の写真も卒業アルバムも、全部なくなってしもたんやわ」

 他にも色々な話をしたはずなのに思い出せませんが、この一言だけは、いまだに私の心に焼きついています。

 そのゼミ仲間とも、今では遠方のために疎遠になってしまい、私もあの災害のことは、世間と同様にほぼ忘れかけていました。
 しかし、ニュースで「阪神・淡路大震災から10年」という言葉を聞いて、ふと、当時を思い出しましたので、今日のネタにしてみました。

 私がその後、初めて神戸の町を訪れたのは、数ヵ月後、松山〜神戸間のフェリーの運航が開始された時でした。
 六甲アイランドのフェリー乗場から六甲ライナーに続く道路の歩道は、液状化のためか、継ぎはぎだらけでボコボコだったことを覚えています。
 また、埋め立て地の未開発地には、仮設住宅らしい、白いプレハブがたくさん並んでいたことも・・・。

 あの震災に遭われた皆様の中には、未だ、不便な生活を強いられている皆様がいらっしゃることと思います。
 まだ傷の癒えない被災者の皆様、そして昨年発生の新潟県中部地震の被災者の皆様も、一日も早く、平穏な暮らしに戻れますように。

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21:10:00 | yo-ta | | TrackBacks