Archive for 10 April 2006

10 April

「春の女神」ことギフチョウを巡るアレやコレ。

 お食事中の皆様には申し訳ないですが、この土日は内臓が爆発気味で、あまり外に出られませんでした(もちろん、そんな内臓抱えてアウトドアなんぞ、もってのほか。ああ、神奈川ではギフチョウがいいシーズンなのに・・・)。

 とにかくこの2日間、空腹感はあるのに食べれば苦しくなる(最初、胸焼けと膨満感があってゲップが頻発。しばらくすると下る)という反面、あまり食べずにいると脳貧血でも起きるのか、頭痛が来るという、なかなか厄介な状況でした。
 う〜ん、下戸な体に木〜金曜の連続飲み(しかも、金曜は参加者が多くて用意された料理が全然足りず、空きっ腹にビール、日本酒、焼酎のチャンポン)だったのが効いたか?

 とりあえず、だいぶ回復してきた今は、ミカンとリンゴが食べたくて仕方がありません(何故に?)。

 では本題です。
 少し冒頭脱線でも触れましたが、現在、全国的にスプリングエフェメラルの一種、「春の女神」ことギフチョウの発生シーズンを迎え、ようやく、昆虫の世界にも本格的な春がきたことが実感できる時期になりました。

 んで・・・この季節には恒例になりつつありますが、やはり今年も起きているようです、「マニア vs 保護派のバトル」が。

 なお、「マニア vs 保護派」という、一般的にわかりやすい図式を使いましたが、実際にはこれは適切ではなく、「マニア=採取容認型愛好派」「保護派=採取禁止型愛好派」と言い換えた方が正しいでしょうか。
 また、実際には様々な考えを持つ皆様がいらっしゃいますから、図式はもっと入り乱れて複雑になっていますが、最も意見の対立が見られるのは、ギフチョウの保護上、採取は是か非か!という論なので、仮にこの図式を使います(※1)

 とにかく、毎年思うのですが、どちらも「ギフチョウが大好きで、その生息環境を守りたい」と思う心は同じなのに、どうしてこんなバトルが起きるのか、ちょっと不思議です。

 両者の言い分を聞いていると、「マニア=採取容認型愛好派」側としては、「ギフチョウの数が減ったのは、里山が荒れて生息環境が減少したため。採取行為とは無関係だし、人が採る以上に鳥が食ってる」という主張(間違っていない)があり、「保護派=採取禁止型愛好派」側の立場からは、「少なくなった生息環境の中で、細々と生息している虫の採取は人威圧になる。環境回復まで、虫も同時に守って当然」という主張(これも間違っていない)があります。
 そして、双方ともに一理があるために、延々、睨み合いが続いてしまうという感じです。
 まあしかし、自然を相手にした問題は、何が正しいのかは容易に判断がつかないため、考えつづけることに意義がある・・・のかもしれないですね(^^;)。
 (ただし、近年は誤った環境意識による、地域差を無視した無差別放蝶による「地域間変異の希薄化」という深刻な環境問題が生じていることは、採取派の皆様の地道な活動によって明らかにされてきたという一面もある:※2

 しかし、そうした議論の中で、私が見て「危ういな・・・」と思う意見がいくつかあります。
 それは、一部の採取禁止型愛好派の皆様に見られる、採取容認の発言をする皆様を(その背景を無視して)全て悪と断じ、攻撃的な言葉で弾劾するような意見です。

 で、よくよく話を続けていくと、こういった攻撃的な方の中には、地元で保護活動を行っておられる方が結構多く見られ、ここに至ってなるほどな、と思わされます。
 なぜかというと、反論を覚悟で言ってしまうと、ギフチョウの「マニア=採取容認型愛好派」と「保護派=採取禁止型愛好派」のぶつかり合いは、リアルな世界では、地元保護団体と採取者のぶつかり合いである場合がほとんどだからです。
 (特に、天然記念物指定等、採取禁止の根拠となる法令指定がない地域においては強烈 ^^;)

 私も、普段の趣味がああいう物なので、地域単位で活動している自然保護団体や、愛好会の皆様の活動などにばったり出会ってしまう場合が多いのですが、その際の第一印象で、「あ、いい団体だな」と思う所と、「今後は絶対にお近づきになりたくない団体だな」というのがはっきりとわかります。
 前者は、「私達の愛する地域の良さを一緒に楽しんでほしい」という雰囲気が良くわかる団体。後者は、「ここは私たちが守ってきた場所だ。余所者が勝手な事をするな」という無言の威圧がある団体です。

 そして、その「無言の威圧感」を持った団体が、特定の種(例えばギフチョウ)を保護対象としていたら、これがもう始末におえないほどの「保護原理主義」的な思考の集団になっている場合が多々ありまして・・・。
 余所者が何を言っても、「己が正しい」の一点張りで全く聞き入れないどころか、見かけない人がいれば「密猟者」と決め付けてかかってくることも多々あり、ちょっとでも気に入らない言動をしたら、すぐに「持物を全部見せろ」だ「110番だ」と騒ぎ立てます(そして、そんなやり方をWebの中にまで持ち込んでくる)。

 そんなヒトと出くわしてしまった日には、一日中、腹の虫がおさまらないだけでなく、「その地域そのものに対する敵愾心が生まれる」ことも少なくありません。
 また、同じ自然保護の世界でも、そういう団体は次第に悪評が主流を占めるようになり「あの地域のあの団体とだけは、関わりを持つな」と言われるようになり、次第に孤立して活動自体が空中分解する(そしてその頃には守るべき対象だった環境はボロボロ)という、最悪のシナリオになる場合が少なくありません。

 こういう、地域単位で凝り固まって他者を受け入れなくなる状態を、「地域ナショナリズム」と呼ぶことがありますが、ここまで来ると、「あんたらの自然保護活動とは、余所者を締め出して地元の優位性を誇示するという、自己顕示欲を満足させる手段でしかないのか!」と言ってやりたくなります。
 (そういう団体が少なくないんですわ、関東近県には。おかげで、純粋な環境保全を旨とする団体から、ほとんど敵視されている団体もいくつかある)

 とにかく、現在、環境保全活動に参加している皆様の中で、最近、団体の中で「ウチ」と「ソト」の境界線をやたらクッキリさせたがり、「ソト」に対しては苦言ばかりが飛び出すようになっている人がいたりしたら、その人は「地域ナショナリズム」に落ちる一歩手前ですから、注意しましょう。

 なお、こういう問題に関しては、「同じ虫好き同士で色々争っても、何の意味もないじゃん、マターリ行きましょうや!」が私のモットーです(ちなみに、私は採取容認派だったりする)。

 なお、ギフチョウに限らず環境保全上のトピックとなる生物種の保護の話が表になる場合、必ず裏で何か悪事を働く「組織的な黒幕(闇のブローカー)がいるような話が流れますが・・・。

 こと昆虫類に限っては、まずありえない話と見てよいです。

 この辺りの真偽については日本昆虫協会という団体が掲載している「ギフチョウ保護をめぐる常識のウソQ&A」というページに詳しいので省きますが、とにかく、Webに流れる「アフィリエイト長者」や、「年収ン千万円のデイトレーダー」の噂同様、限りなく嘘臭い噂だと考えてよいと思います。
 (もし本当に「アフィリエイト長者」や、「年収ン千万円のデイトレーダー」がいたとしても、もととなる収入がどの程度かを考えれば、恐らくは世間一般の人が思い描く、贅沢で裕福な暮らしとはかけ離れた、PCの前から一歩も動けず数字をジリジリ眺めているという、身体を消耗させる一方の生活を送っているはず)

 なお、現在の昆虫の市場は、あのオオクワガタでさえ、その個体が売れるまでの飼育に見合ったコストを回収できれば御の字であるのが実態だそうです。
 まあ、こういう話は正確な情報を知らないと、馬鹿を見るだけだ、ということで・・・。

 (長くなったので、文中の脚注は以下に続く↓)
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