Complete text -- "この植物は、本当に環境に優しいのか?"

02 October

この植物は、本当に環境に優しいのか?

今日は、かなり重い話になります。

 つい先日、仕事で訪れた関東某所の現場で、見たことがない花をつけた植物を見かけました。
 葉の形が掌状で、「まさか、"悪い草"?」なんて驚きましたが、同行していた植物の専門家の方に、これがケナフだ、と教えていただきました(日本で今、開花しているのは早いらしい)。
「悪い草」方向は杞憂でしたが、なぜこれがここにある、と、別の方向から憂慮すべきことではないか、という気持ちが湧き上がってきました。

 ケナフは一時期、新しい植物資源(紙パルプ材料)として注目されていたため、その時のイメージから、一般には「環境に優しい」植物だと考えられているように思います。
 ここで先に言っておきますと、私はケナフの紙パルプ材料としての有用性は否定しません。しかし、「環境に優しい」というキャッチフレーズには、強い疑念を持つ人間です。
 アンチ的な、盲目的反対ではなく、「当初の導入目的と方向性が違うから、話がややこしくなっている。何とか是正すべし」という考えだ、といえばよいでしょうか?
 それをベースにはっきり私の考えを言いますと、ケナフの植物資源としての可能性は否定しませんが、「環境に優しい」というフレーズは、科学的な根拠に乏しく、商品に付加価値をつけるための商業的なイメージ戦略でしかない、という形になります。

 その理由については、長くなるので[more...]以降で書きましょう。
 興味のある方は、下の[more...]をクリックして先に進んでください(ただし、かなり長いです)。

 とりあえず、私は日本に本来ありえない植物を人為的に持ち込み、「環境に優しいから、庭に、広場に、公園に、河川敷に、どんどん植えて!」といって無差別にばら撒くのは、本当に環境のことを考えている人なら、絶対にありえない行動だと思います(生態系のかく乱という、致命的な環境影響をもたらすため)。
 今のように無作為にばら撒くのではなく、何らかの計画性をもって、「作物」として普及させていった方が、産業における「材料」としての価値も理解されやすかったでしょう。
 一体、どこでこんなややこしい話になってしまったのでしょうか?

 ちなみに、ケナフは平成14年に、環境省が発表した「移入種(外来種)への対応方針について」の中で、「移入種」としてリストにあげられています。
 また、同方針の中で、ケナフは今後、「日本の環境においても影響を及ぼす可能性がある種」として着目されています(下のURLの本文内、表1−1参照)。

http://www.env.go.jp/nature/report/h14-01/index.html

 これより新しい知見があるかもしれませんが、専門家の間では、少なくとも「日本の環境に対して、まったく無害」だとは考えられていないことは事実です。

 ケナフ栽培を推進している団体の皆様は、この環境省の意向をくみ取り、栽培を推奨すると同時に、正しい栽培方法の指導(生態系への分散を防ぐための方策の指導も含めて)を行うとともに、可及的速やかに、栽培された植物体を有効に活用する産業システムの構築を行う必要があると思います。
 でなければ、健全な産業としての発展もありえない話になるでしょう。
 さて、それでは、なぜ私が「ケナフが環境に優しい」というフレーズに反発するか、その理由を書きましょう。
 本編も長かったですが、ここからは、さらに思いっきり長いので、ダイアルアップ接続の皆様は、ブラウザがページ読み込みを完了したら、一度、回線を落としてキャッシュで参照していただいた方が良いかと思います。

 ケナフが環境に優しいと言われる理由は、大体、以下のとおりだと思います。

1.紙パルプ材料として、木材資源の代用になる。
2.温暖化の防止効果がある。
3.環境浄化効果がある。

 これについて、順に私の考えを示していきたいと思います。

1.について。
 ケナフに、パルプ原料、セルロース材としての有用性があることは認めます。
 木材パルプに比較して、コストがかかる云々が指摘されていますが、今後の技術の進歩でどうにかなる可能性もあるわけで、現段階のB/Cのみで判断すべき問題ではないでしょう。
 むしろ、現状で無作為に栽培されているそれを、うまく利用できる産業システムが構築されるなら、もっと振興すべき・・・とも思います(あくまでも前段の条件付きで、です)。

2.について。
 成長がはやい草ですから、一年間に、樹木の何倍も二酸化炭素を取り込み、固定する、というのがこの主張の理由のようです。
 しかし、これは中学理科の知識があれば、アプローチを間違えていると気付くはずです。
 ケナフが環境に無作為分散しない、とされる理由に、一年草で、枯れたら根系もろともすぐに分解される、という話があります。しかし、この話は種から芽が出て一年で分解される・・・つまり、一年後には再び、「水と、リンや窒素酸化物と、二酸化炭素(!)」になる事実を示しているのです。
 温暖化の抑制効果を見込むためには、二酸化炭素が相応の期間中、植物体内に蓄積、固定されていないと話になりません。成長過程で体内に蓄積する二酸化炭素量が多くても、たった一年でまた大気に放出されるのでは、全く意味がないことは、皆様も十分理解していただけるものと思います。

 また、製紙産業でパルプ材料に使われているのは、硬い"さや"状の部分を取り除いた、スポンジ状の心材だけで、その他の部位は廃棄(主に焼却)されていると聞いたことがあります。そして、製造された紙も、手拭き用のウェットティッシュなど、使い捨て品として利用されているのが主であり、すぐゴミになり燃やされます。これでは、相応の期間中、二酸化炭素が固定されているとは言いがたい状況です。
 つまり、どのみちすぐに死んだり焼却されたりして、とり込んだ二酸化炭素を元通りに大気に放出しているわけで、ケナフは温暖化防止には、ほとんど役立っていないというのが実際の所です。
 反面、樹木は寿命が数十年以上あり、その間、二酸化炭素を体内に固定しつづけますので、ケナフとは比べ物にならないほど、二酸化炭素の吸収、固定に貢献してくれます。これを同列比較する方が、おかしな話です。

 ついでに言うと、最も温暖化防止に効果のあることは、「二酸化炭素の排出量を減らすこと」です。
 出した後、後片付けしていることが、「防止」であるはずがありません。

3.について。
 成長がはやいため、窒素酸化物、リンの吸収量も多く、水際に植えれば富栄養化の解消に役立つ、とか、土壌改良になる、などと言われています。
 しかし、2.で述べたとおり、すぐに枯れて分解される植物では、勝手に植えてそこで枯れるのであれば、蓄積したものも、すぐにもとの環境に放出されるだけで、浄化の効果を見込むことはできません。経年的に栽培され、刈り取られ、そして刈り取った本体が有効活用されることが必須の前提条件となるのです。

 というわけで、この主張をアピールするためには、個人栽培をふくめ、栽培された植物体を回収し、産業材料として有効に転用する産業システムの構築が必要不可欠です。
 しかし、実際にはそれらを有効に活用するシステムが整備されていないため、「育ちすぎて困ったから刈って燃やした」とか、「誰か引き取ってくれ」とか、果てには「扱いに困ったから、種をその辺に捨てた」という書き込みが、ケナフ有効利用のための情報交換掲示板で行われているのが現状です。
 この現状をもって、「水際に植えれば富栄養化の解消に役立つ」ので、「池や、湖、河川敷に植えてください!」とアピールするのはいかがな物でしょう?
 種が遠くまで流され、思いもしない場所で芽を出すかもしれないのに。そしてそこで環境への影響が出ても、誰も責任を取れないのに、です。
 とにかく、現状では、ケナフの推奨が、見方によれば移入種の無作為分散を推奨する形に受け取られかねず、逆に「ケナフは生態系をかく乱する悪草だ!」という認識を持つ人が増えてもおかしくありません。

 ちなみに、一部で言われている、水質浄化のためにヨシやオギのかわりにケナフを植えよう、という活動は、生態系というものの成り立ちを全く理解していない人間の、自己満足に過ぎません。
 ヨシやオギも水質浄化作用を持っていると言われていますし、それより何より、ヨシやオギの群落は、古来から日本にある湿地生態系の基盤であり、その環境を利用する生物がたくさんいます。
 しかし、それをケナフに変えてしまったのでは、ヨシ・オギ群落に依存するたくさんの生物達は全滅します。それが本当に、環境に優しい行為なのか、もう一度考えるべきでしょう。

 以上、3点について私の考えを示しましたが、特に2.や3.への私の考えを見ていただければお分かりいただけるとおり、私には、「ケナフは環境に優しい」というキャッチフレーズは、アプローチする方向性が違う、としか考えられません。
 ちょっと考えれば誰でもおかしいことに気づくものを、ことさらに声高に叫ぶのは、商品としての付加価値を高めるための商業的戦略だ、と私などには思えてしまうわけです。

 第一、ケナフはもともと、産業材料としての可能性を考慮して日本に移入された植物だったはずです。なぜ、改めて「環境に優しい」などというキャッチフレーズをつける必要があったのでしょう?
 このキャッチフレーズに共感してケナフ栽培をはじめた皆様の中には、「引き取り先も市場性も不十分なのに、育つだけ育つ」という、作物として厄介な存在のこの草を前に、「だまされた!」と思っている方も少なからずいらっしゃるように思われます(有効利用情報交換の掲示板の書き込みからも)。
 なぜ、そんな印象先行型の移入が必要だったのか、不思議でなりません。

 ケナフという植物の持つ、産業材料としてのポテンシャルをフルに発揮するために、推進団体の皆様は、是非、上の3.への考えに示した産業システムの構築について、真剣にご検討いただきたいと思います。
 そうでもなければ、今後もケナフパルプ業界が、健全な産業として成立することはありえないでしょうから。

 ・・・で、以下は私の中の、「もう一人の私」が残したメモの引用です。
 (普通の人なら、笑い飛ばすか、最初から相手にしないような内容だと思いますが・・・)

 日本にケナフが移入された時期って、東南アジア諸国で逸出、自生による生態系かく乱事が問題になって、「ケナフは害草」と認定されて、輸入市場から締め出された頃だ。
 日本には、製紙産業の材料として持ち込んだはずの植物を、「環境に優しいから全国に植えて!」と(無料で種子をばらまいてまで)アピールするのって、日本で同じ事態になった場合に備えて、「先手」を打ってたんでないの?

 つまり、日本でも逸出自生が問題になることが考えられるので、「みんなが環境のためを思って植えた植物だ。産業用の栽培植物が逸出したわけではない」とか、「増えても環境に良い植物だから大丈夫だよ」と言い換えるための素地を先に作ろうとしていたと考えた方が、話がすらっと通るよね。

 以上、私の中にいる、「もう一人の私」が、「私」が寝ている間にそんなメモを残しています・・・。
 ・・・タスケテ ボクノナカノもんすたーガ ハレツシテシマイソウダ・・・
08:30:00 | yo-ta | | TrackBacks
Comments
コメントがありません
Add Comments
:

:

トラックバック