Complete text -- "生息圏を北に拡大する蝶、ナガサキアゲハ(?)を東京で確認"

22 May

生息圏を北に拡大する蝶、ナガサキアゲハ(?)を東京で確認

 「表」のサイトのColumnのコーナー(5/21日付)で出した「知恵熱」について、今日、会社で話題にしたら、「お前は何歳だ?」と突っ込まれました。

 「知恵熱」とは本来、頭を極度に使った反動で起きるものではなく、一般には幼い子供が母親から譲り受けた免疫系が一度、体内からなくなり、自己の物に置き換わる際、一時的に免疫力が弱まるために発症する突発的な風邪などに充てられる言葉のようです。
 ・・・う〜む、確かに、私はどう考えてもそういう年齢ではないわな・・・(精神的にはどうか知らんが ^^;)。

 ちなみに、医学的には「知恵熱」という症状はなく、この言葉は本来、子育て経験の少ない若い母親を安心させるため、「子供は知恵がつく頃には誰でも熱を出すものさ」という意味合いで使われた慣用句のようなもののようです。

 では本題です。
 昨日、昭和記念公園に初夏のトンボを撮影に行ってきましたが、その時、ナガサキアゲハと思われるアゲハチョウを視認しました。

 最初はクロアゲハかと思ったのですが、その割には前羽が表裏ともに白っぽく見え、よく見ると羽の形が全体的に丸みを帯びています。
 そのままフラフラと私の近くまで飛んで来た時、後羽に尾状突起がなかった事と、前羽の付け根に赤〜オレンジの小斑が一瞬見えたことから、直感的に「ナガサキアゲハの雌だ!」と感じました。

 証拠&識別のために姿を撮影しようと、その後15分くらい追跡しましたが、この個体はどこにも止まらずに飛び続け、最後は園内にある樹林のような植栽に沿って、梢の高いほうに行ってしまい、そのまま見失ってしまいました。
 よって、私も「確実にそうだ!」と言い切るほどでなく、「70%程度の割合でそうだ!」という程度の自信ですが、あれはナガサキアゲハだったと思います。

 まあ、既に都内では毎年、確認報告が上がっている種であり、すっかり定着した感も出てきた種(っていうか、この時期に春型の成虫がいるって事が、この近辺で越冬している可能性を示唆している)ではあるものの、関東で見かけると、やはりハッとする種です。

 ナガサキアゲハは名前の如く、もともと南方産のチョウで、日本の個体群は江戸時代に長崎の出島に来航していたシーボルト氏が採取し、博物標本として本国に持ち帰ったことに由来した名前だとされています。
 幼虫は栽培種のミカンの葉しか食べず、日本では古来からミカン栽培が行われていた九州にしか生息していませんでしたが、近年、生息域を北に広げる傾向が顕著で、「北上する蝶」として有名になっています。

 彼らの北方進出の経緯を年代別に追いかけてみると、まずはまだ温暖化の影響がほとんどなかったと考えられている戦後の復興期(1940年代)に、愛媛県南予地方(宇和島市周辺)で、山の斜面のサツマイモ畑をミカン栽培に転用する動きが活発になった頃に合わせ、四国に上陸したのが始まりのようです(恐らく、九州で買いつけた苗木を輸送する際、幼虫が木についたまま上陸したのが原因らしい)。
 そして、明治以降、伊予柑などの栽培が盛んだった愛媛県内には一気に広がり、そのまま四国中に広がって行きます。

 その後はゆっくりと本州の瀬戸内沿岸を東進した後、1980年代に近畿に到達すると、そこから北上が一気に加速し、1990年代に東海地方の多くの地域で確認が相次ぐようになります。
 そして、2000年にはついに埼玉県南部〜東京都内でも飛翔する姿が確認されるようになり、現在では南関東地方の各地から、「確認」の報告が上がるようになりました。

 40年かけて九州〜近畿に到達した種が、たった10年で東海〜関東までを版図に収めた結果になります。
 恐るべし、温暖化・・・と言いたい所ですが・・・。

 専ら温暖化の影響といわれている、ナガサキアゲハの90年代の急速な東進は、逆にあまりに急速すぎるため、近年はそれだけで説明がつかないと言われています(やはり、ヒトの生活との関わりが指摘されている)。
 詳しい内容に興味のある皆様は、↓に続けますので、どうぞ・・・。


 さて、それでは続けます。
 近年までに確認されている、様々な北上傾向を見せる生物の事例を参考にすると、生物がその生息域を北に押し上げるには、以下の条件が必要だと考えられているそうです。

 1.気候の変化(主に温暖化)
 2.(1.に起因する)食草(食物)の分布の変化(北上)
 3.代謝系の変化(耐候性の獲得)
 4.人為分散(人が採取した後、違う場所に放した)


 ナガサキアゲハに関しては、1.はよく言われている(一説に、年間の平均気温が15度を越える、という条件があるらしい)ので省略し、4.も定着に至るまでには長年にわたって何十〜何万匹を放せばいいか判らず、そんな暇人がいるとは思えないので無視します。

 3.については、近年の研究で可能性が否定された(もともと、寒い地域では体を黒くして、効率よく熱を取り込むメカニズムを遺伝的に持っていた)そうなので省略するとして・・・残るは2.という事になりますが・・・。

 ナガサキアゲハはサンショウなどの野生の柑橘類にはつかず、栽培種のミカンなどにのみ依存する種である事から、柑橘類の果樹栽培が行われている地域でしか生息できないこと。
 また、近代においては近畿〜東海〜南関東において、ミカン栽培はかなり大掛かりな農場が開かれるなど、食草の分布は大きく変わらないと考えてよいことから、北上要因としてはメジャーなものとされない場合が多いです。

 ゆえに、消去法で1.に立ち返って、「温暖化が最も重要な要素だ」とされる場合が多く見られます。

 しかし、異聞の説として、90年代の爆発的な分布域の拡大は、ヒトの社会の変化が影響を与えた結果とも考えられています。
 その社会の変動とは何かというと、1991年から解禁された、米国産オレンジの輸入自由化です。

 米国産オレンジの輸入自由化は、当時、国内果樹産業を圧迫するとして大きな社会問題にもなった社会制度の変化ですが、これが原因で国内の果樹産業は少なからぬダメージを受け、国内のミカン&オレンジ農家が市場の衰退とともに、農場の縮小や放棄などを余儀なくされたケースが多々発生しました。
 そして、栽培放棄されたミカン畑&樹木が増え、荒れたミカンやオレンジの木(枝葉は伸び放題な上に農薬が散布されないので、虫にとっては天国の環境になる)を利用し、ナガサキアゲハは爆発的に繁殖、版図を拡大したのではないか・・・ということが、最近、一部で言われています。

 もともと、東海〜南関東はミカンの栽培地域としては低温で、良質な果実を得るためにはかなり樹木に手をかける必要があり、それに伴い様々な農薬が使われていた時代もあったそうです。
 そして、幼虫の餌になる木々はあっても、農薬の散布などによって食べられなかったのに、ヒトが放置するようになると、それらは食べられるものへと変化して行きます。

 つまり、「食草の分布」だけを見た場合には、確かに大きく変わっていないのですが、「彼らが利用可能な食草が存在する範囲」は拡大している(=見かけ上、食草の分布が広がっている)と見るべきだ、というわけです。
 私なんかは、何でもかんでも「温暖化」で片付けているより、示唆に富んだ意見だと思いますが、皆様はいかがでしょう?

 なお、この説に基づくと、日本海岸ではミカンの商業的な栽培が行われている北限の、福井県の若狭湾岸がリミットとなり、太平洋岸においても、果樹栽培木として維持可能な北限である南関東辺りで、この種の北上は頭打ちになると言われています。
 実際、北陸地方では福井県(特に嶺南地域)での確認事例は多いようですが、石川、富山での確認事例はあまり聞きません。
 さらに、1990〜2000年の10年間で近畿〜南関東まで広がった東海側の分散個体群は、南関東で確認されてから6年経った現在も、茨城県南部より北での確認事例はほとんどないそうです。

 こうした事例を考えると、どうやら彼らの版図の北方拡大の要因は、温暖化の寄与もあるでしょうが、他の要因も重なった複雑なものだと考えた方が良さそうです。

 なお、ナガサキアゲハに限らず、生物種は皆(ヒトも含めて)、「産めよ、増やせよ、野に満ちよ」の本能に従って生きています。
 今は南方産種の北上の問題が取りざたされる事が多いですが、どんな生物種も、ちょっとした「きっかけ」があれば、いつでもその版図を拡大することができるものだと考えた方が良いかもしれませんね。
23:17:00 | yo-ta | | TrackBacks
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