Complete text -- "エアショー(アクロバット飛行)パイロット、ロック岩崎氏が事故死"
21 April
エアショー(アクロバット飛行)パイロット、ロック岩崎氏が事故死
個人的に、大きな衝撃を受けたニュースでした。秋の関東地区のエアショーシーズンに、「表」のサイトにたびたび名前が登場していた、日本人初の本格的アクロバットフライトパイロット、ロック岩崎(本名:岩崎貴弘)さんが、本日、訓練のために訪れていた但馬空港で、事故のために亡くなられました。
事故の詳しい状況などは報道されておらず、ロックさんが所属しておられたアクロフライトチーム、「AIRock」のホームページも、現段階では昨日、20日付の最終更新状態で沈黙しています。
ロック岩崎さんは、日本人では初の、プロのアクロバット飛行チーム、AIRockを立ち上げたパイロットで、航空ショーなどでは毎回、素晴らしい飛行演技を見せてくださっていました。
私がロックさんのアクロフライトを初めて見たのは、関東に来て、初めて訪れた百里基地の航空祭でした。
鼓膜どころか、内臓まで震えるほどの轟音とともに飛び回るF-15JやRF-4Eのフライトの合間に、単発レシプロの複葉機が上がった時は、正直、「???」という気分でした。
しかし、その小さな機体が、戦闘機達の詰め将棋のような、正確無比のライン取りで飛ぶ機動飛行とは異なり、次々と「魅せる」飛行演技をするのを見て、アクロフライトといえば自衛隊のブルーインパルスくらいしか知らなかった私に大きな衝撃を与えてくれたのが、ロックさんでした。
以後、秋になると、関東圏の航空祭のフライトスケジュールにAIRockの名前がないか、探すようになっていましたが、残念な事に、AIRockが関東で飛ぶ予定の年に限って、悪天候や9.11による世界情勢不安の高まりなどによって、航空祭が中止される事が多くなってしまいました。
そして、再びロックさんのフライトを見る事ができたのは、昨年秋の、百里基地航空祭でした。
昨年の百里航空祭でのAIRockのフライト。パイロットはロック岩崎さん。
昨年の百里基地航空祭は、悪天候とともに、会場運営が色々と混乱したことで、観覧者にもイライラを募らせる人が多かったように思います。
そして悪天候のため、フライトが次々中止される中、航空祭終了間際まで雨止みを待って待機し、最後の最後に空を飛んで、来場者を楽しませてくれたのがロック岩崎さんでした。
私は既にこのとき、会場を離れてシャトルバス乗場でバスを待っていたため、ロックさんの操るピッツの機影は、高空まで駆け上がる演技のみでしか見られませんでしたが、それでも、最後の最後に航空祭らしい飛行が見れて、満足したことを今でも覚えています。
そして、まさか、それが最後になるとは思いませんでした・・・。
ロックさんは自衛隊の戦闘機パイロットとして、その時々の最新鋭機のコックピットを経験されたとともに、現行でも世界最強の戦闘機と言われるF-15Jの、デモンストレーションパイロットを務めました。
在官時には、模擬戦闘訓練において、運動性能ではるかに劣るF-104型戦闘機で米軍のF-15A戦闘機を破ったり、F-15Jのデモンストレーターとして、ジェット機では不可能といわれた「ナイフエッジ」飛行を披露して・・・と、その操縦技量においては、自衛隊のパイロットでも屈指の存在だった事を思えば、今回の事故は信じられない思いでいっぱいになります。
唯一の救いは、ロックさんは最後まで、「飛行機野郎」だった事でしょうか?
そのまま、誰の手も届かない所まで飛んでいってしまわれましたが、それも、ロックさんらしいと言えばそうかもしれません。
謹んで、ご冥福をお祈りいたします。
ロックさん、去年の百里の最後のフライト、本当にありがとうございました。
今回の墜落事故に関する記事
毎日新聞のニュース速報
朝日新聞のニュース速報
産経新聞のニュース速報
読売新聞関西版のニュース速報
AIRock エアロバティックチームホームページ
ロック岩崎氏の著作など
最強の戦闘機パイロット 岩崎 貴弘 (著)
→ロックさん自らが、自衛隊時代を振り返って記した著作です。
兵士を見よ 杉山 隆男 (著)
→航空自衛隊のパイロット達の、普段見えない「人間」の部分を描いたルポです。
22:02:00 |
yo-ta |
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