Complete text -- "私の、山での遭難体験 Part 3 -ふと我にかえり、そして下山の途へ-"

08 October

私の、山での遭難体験 Part 3 -ふと我にかえり、そして下山の途へ-

 一昨日から続く遭難体験記、今日が最終回です。

 去年の12月頭、14:00頃。私は奥多摩で下山中に、巨大な倒木に行く手を阻まれ、初めて道迷いに気づきました。そして、焦りが恐怖を生み、「迷ったら高いところに向かえ」の鉄則に従って・・・と、その時の自分はそれが最良と判断し、私は道もない山の急斜面を登り始めたのでした。

 急斜面を、落ち葉に足を取られて何度も転びながら登り続けて、2時間近くが経過した・・・と私は思いました。日没が、すぐそこに迫っていると。
 いまだ登山道らしい場所には到達できず、このままでは、すぐに暗くなってしまう。ヘッドランプは持っているが、暗くなる前に正しい道を見つけられなければ終わりだ、と、とにかく焦りと恐怖が押し寄せてきます。
 悪いことに、この日は写真撮影の機材を運ぶことを重視した装備だったため、フォストビバーク(不時露営)装備は、それほど持っていませんでした。
 ザックの中身を必死で思い出しますが、防寒に使えそうなのは、着替え一式とレインスーツ、アルミが蒸着されたレスキューシートに、座布団大のエアマット。そして最後はザックそのものに足を突っ込むしかないという感じで、低山とはいえ初冬のビバークにはかなりの覚悟が必要な装備です。
 あとは、初冬ゆえ腐るほどある落ち葉を集めてたき火をして・・・と、半ば私は一晩の奮闘を覚悟しました。

 そして、そのとき私は何気なく時計を見て、信じられない思いになりました。
 時計は、まだ14:30分頃を示していました。あれっ?という感じです。
 自分では焦りと恐怖から、2時間近くさまよったと思ったのに、たった30分しか経っていなかったのです。自分の時間感覚が、4倍に早まっていたのでした。
 そして、その時初めて、意外に冷静だと思っていた自分の心が、崖っぷちに立たされていたことに気づいたのです。
 頭の曇りが晴れ、ハッとして振り返ると、よく登ったなあ、と自分で思うような急斜面がありました。焦ったまま登り続け、どこかでミスでもしていたら・・・。

 これをきっかけに、私の中の冷静な部分が回復してきました。
 このまま登るのは逆に危険と判断し、急な斜面を、自分の足跡を目安に、大きく幅をとったジグザグ歩行でゆっくり下り、先ほどの倒木まで戻ります。
 倒木のところに戻ったのが、15時前。初冬の短い昼は終わりかけ、すでに空は赤くなりかけていました。
 しかし、あらかじめチェックしてあった日没時間から考えて、16:30〜17:00頃までは残照でライトがいらない程度には明るいはずだ、と予測を立てると、だいぶ気が楽になりました。
 最低でも1時間半も余裕があるなら、と、半分開き直って、ここで間食をとりながら、もう一度、これからどうするか考えてみます。

 間食して少し落ち着いた頭で考えると、笑ってしまうほど簡単なことでした。
 最初に迷っていた時間が30分ほどなら、そんなに遠くまでは来ていないはずです。また、人工林を外れた後、人に踏まれていない落葉樹の地面は柔らかく、自分の足跡がはっきりと残っています。
 だったら、自分の足跡を追いかけながら、その先に見えるスギ林を目指せば、ほぼ確実にリカバリーできるのです。なぜ、あんな急斜面を無理に登ったのか。自分で自分が馬鹿らしくなりました。

 とにかく、対応が決まれば、と、15:20頃、私は自分の足跡を見ながら歩きはじめました。
 しばらくすると前方にスギ林が見え始め、その中に、人に踏まれてカチカチに固まった道筋を見つけることができました。間違いなく、使い込まれた登山道です。
 それを見つけたとき、私は心の底からの安堵のため息が出て、なぜか今ごろになって膝がガクガク震えだしました。

 そこから先は、長年の間にたくさんの人が歩いて踏み固められた一般登山道を小走りに進み、外灯に明かりが点りはじめた17:15頃、水根集落の民家近くに出ました。
 ぎりぎり、暗くなる前に、無事、下山できたのです。

 それにしても、時間にして、約1時間半程度の道迷いでしたが、10ヶ月経った今、思い出しても、あの道迷いでは3〜4時間くらい、深い樹林をさまよっていたように感じます。
 それほどの焦りと、恐怖を感じていたのでしょう。
 あの時、時計を見て冷静になるきっかけを掴めなかったら、私は今頃、どうなっていたことか・・・。

 これからの季節、山は紅葉に彩られ、登山やハイキングに出かける人も多くなると思います。
 そして、山に行かれた皆様が、もし道に迷ったりした時に、私の体験がちょっとでも役立てば・・・と思い、恥かしい話ですが、あえてここにさらしてみました。

 これから紅葉登山を予定している皆様、くれぐれも事故には気をつけてください。

 [more...]以降に、この時、何が悪かったのかを自分なりに分析した結果を書いてみます。
 今回の私のこの体験で、最も大きなミスは、通常の登山道とは違う状況に気づいていながら、さらにその道を進んだことでしょう。
 杉の葉が、人に踏まれて潰れた様子がなかったことや、踏みあとがすぐ不明瞭になったりしたのに、道を進んでしまった。
 この段階で、もう少し慎重になっていれば、あとのゴタゴタは全部避けられたはずで、まずはここを反省すべきですね。

 続いて、装備面では、フォストビバーク装備くらい持ち歩くべきだった、と、本気でそう思いました。
 奥多摩の鷹ノ巣山は、丸一日歩き続けないと、登って、下りて来れない山ですから、日の短い時期に趣味を優先して非常時装備(救命装備)を省いたのは、装備面で大きなミスでした。
 あの日、本当にフォストビバークということになったら、一晩を過ごすのは不可能ではないにしても、かなり厳しかったでしょう。

 あと、完全にパニックに陥っていたのに、なぜ自分は冷静だと考え続けたのか。これは不思議なことだと思います。
 あの時は、自分の感覚が完全に麻痺していたというか、今でも、あの急斜面を登っているときのことは、あまり良く思い出せません。
 非日常の空間に一人だけぽつん、と放り出されたことから、ヒトという動物種の一個体として、本能的に周囲に危険を感じ、その「場」に対する警戒心や忌避反応が過剰になり、一種の錯乱状態に陥っていたのかもしれません。

 登山者やハイカーが、道迷いから深みにはまってゆく過程には、私と同じように、本能的な恐怖から、意識が空白に近くなる時間があるのかもしれません。
 そして、そこから脱出できなければ、本来、本能的な行動に慣れていないヒトという生物は、自己を防衛するはずの本能の働きを制御できず、さらに自分を追い込んでしまうのでしょうか?
 私の場合、自分の体感時間が実際の時間経過と大きく異なることに気づき、それをきっかけに、空白の時間から脱出できました。錯乱して乱れた時間感覚を、自分の感覚外の計器表示で補正することによって、理性が復活したのかもしれませんが、これは何ともいえないと思います。

 とにかく、どんなに慣れ親しんだ山域でも、山の中は非日常の世界。
 そこで自分自身のいる場所を見失うというのは、とても危険なことだというのは間違いありません。
 今までも、なめていたつもりは全くありませんが、どこかに落とし穴があったのでしょう。今後はさらに注意して歩きたいと思います。

 ・・・ただ、この一件以来、確かにさらに慎重になろうと努力している自分を感じるとともに、いい意味(?)で「図太く」なった自分も感じるのが・・・なんというか・・・。
21:14:00 | yo-ta | | TrackBacks
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