Archive for 11 August 2005

11 August

「曹操残夢 −魏の曹一族−」の御紹介

 昨日までのムシネタのため、画像を整理していて気がつきましたが、今年はサカハチチョウをまだ見ていないです!
 連中、本当に奥多摩湖の南岸遊歩道で姿を見なくなりました(春型に続き、夏型もいなかった)。

 あいつらがいないと、「手乗り」ネタができないんだけどなあ・・・(爆)。

 では、本題です。
 また例によって、「三国志」に被る話題ですが(^^;)、こんな本を見つけました。

曹操残夢
曹操残夢 −魏の曹一族−
(陳舜臣著)

 陳先生の名著、「曹操 −魏の曹一族−(上巻下巻)」の続編です。
 残夢、とタイトルにあるように、今回の話は曹操死後の曹一族と魏の衰亡の物語で、陳先生独自の中国史観と確かな知識の裏付けから描かれる、重厚な人間ドラマです。

 この、「魏の曹一族」シリーズは、三国志を題材にした物語では通常、悪役扱いされることが多い魏の曹一族について、史書の記述解釈をもとに構想を練った人間ドラマとして描かれている作品です。
 単なる国取物語や英雄譚に終わらず、時代背景、文化、伝統、芸能から社会情勢(三国志の物語ではあまり描かれない、この時代の中華外諸国や西域との交流、宗教観に至るまで)をバックボーンにしています。
 羅貫中以来、千年間語り継がれてきた、「蜀=善、魏=悪、呉=道化」の物語に慣れてからこの物語を読むと、「今まで読んでいた三国志の世界は何て薄っぺらだったんだ!」と思うくらい、物語世界の厚さが違い、人の「血」が通ったように感じられる描写の数々に驚かされると思います。

 なお、この「曹操残夢」は、前作になる「曹操」の続編であるため、人物関係やエピソードのいくつかは、前作を読んでいないと「???」になるかもしれません。
 あと、どうしても「三国志演義」の粗筋程度の理解がないと、話の展開が唐突に感じる所があるかもしれません。
 特に、呉と蜀の扱いは軽いため、あれ?と思うほどあっという間に話が進んでしまいます(その分、魏では同じ話が違う人の視点から何度も繰り返されたりもする)。

 まあしかし、私はこの物語については、まだ曹丕、曹植兄弟の時代から曹叡に代が変わったところまでしか読んでいませんので、これ以上、全体についてどうこう言うのは避けようと思います。
 ちなみに、私がこれまでに読んだ曹丕、曹植兄弟の時代の部分だけでも、物語全体の半分くらいのページが割かれています。この時代の中心にいて、政治にも文化にも時代の流れにも大きな足跡を残した上に、後世の多くの史家・文筆家を魅了した兄弟ですから、物語として描き甲斐があったのでしょう。

 そして、日本でよく読まれている「蜀=善、魏=悪、呉=道化」の三国志物語に慣れた視点からは、この物語の曹丕、曹植兄弟は、ちょっと意外な描き方をされていると思います。
 どんな感じであるかは、前作や本編を読んでいない皆様のために伏せておくとして、私はこの描写をもとに、曹丕の死までを読んだ時、曹植の絶唱とも言うべき「吁嗟篇」をもう一度、読み返したくなりました・・・。

 ・・・しかし、同腹兄弟の中では、やはり曹彰(曹丕と曹植の間の兄弟で、武芸には秀でていたが、文才は芳しくなかった)の扱いは軽いのね(^^;)。
 さすが、父親曹操に、「弓や槍だけでなく、他の才も身に着けなければ王たるに足りぬ」と言われ、しれっと「騎(馬術)があります」と言い放って呆れられた男(爆)。

 曹操が言ったのは、「文書に親しみ、教養を高めよ」って意味だったんだぞ・・・。
 同じように、詭弁を弄するのが得意だった孔融という人物は、(聖人孔子の子孫として、多くの人から慕われていても)「賊徒」として処刑されているんだぞ・・・。
 君主の息子でよかったなあ、子文(曹彰の字)。そうじゃなかったら・・・(--;)。

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