Complete text -- "『下流社会』を読んで。・・・私の感想は、「ふ〜ん・・・だから何?」"

25 November

『下流社会』を読んで。・・・私の感想は、「ふ〜ん・・・だから何?」

 今朝、一番にフロアに来た人たちは、床にマグロが転がっている・・・つまり、昨夜飲みすぎた人たちが、死んだように寝ている姿を見たそうです。

 私が出社した時は、その人たちは「ゾンビ(つまり二日酔い)」になってフラフラ歩いていました・・・。
 ああ、なんてホラーな職場なのか・・・。

 ってか、いくら昨夜が某上司の「執行役員昇進に伴う栄転祝い」だったからって、翌日を考えずに飲みすぎだ!>ゾンビ達。

 では、本題です。
 最近話題になっているというこの本、私も読んでみました。



下流社会 新たな階層集団の出現


 しかし・・・何というか、読後に何の目新しい視点も価値観も提供されず、「ふ〜ん・・・だから何?」という、思いっきり中途半端な感じが残ったのは、何というべきか・・・。

 基本的に、この書の中では、「日本=首都圏」で完結しているようで、首都圏近郊の数百〜2,000人程度に対するアンケート結果だけで、「今の日本の社会はこんなに変容しているかもしれない」という仮説(筆者自身がそう言ってる)を述べている本です。
 で、筆者自身が認めるとおり、母集団が首都圏周辺在住者に偏向している上に、サンプル数が少なすぎるアンケートから求めた解析で、日本の社会構造全体の傾向を捉える、という試みは、乱暴と言わざるを得ません(というか、私は自分で前提が甘いと認めてるなら、本の内容の説得力がゼロじゃん、と言いたいですが)。
 しかも、調査手法にはWeb調査による部分がかなり多くを占めているようであり、こんな前提条件では、趣味の傾向が「パソコン/インターネット」に偏向するのは当然の結果だと誰もが予想できるはずですが、それを「下流」の特異的傾向と捉えるのは、データ処理の中立性に欠けると受け取られてもおかしくないでしょう。

 さらに、筆者のイメージする社会構造は、「首都圏在住者=上流」、「地方都市在住者=中流〜下流」という前提があるようですが、これもあまりに暴論であると言わざるを得ませんよね・・・。
 地方都市には、その地方の歴史と風土に由来する価値観が存在し、それは東京における価値観とはまた異なる次元で評価されるべきことだと私は思います。

 それに、アンケート調査をもとにした書というと、中立的な結果が得られているように見えますが、母集団の選定や質問構成から「統計のマジック」に至るまでをごくわずかに操作しただけで、簡単に自分の望む結論を誘導することが可能なことは、高校時代に数学の「確立統計」を学んだ方なら誰でもわかるでしょう。
 シンクタンクとはいえ民間企業ですから、研究者的正確性を持たせた統計調査を行うのは困難(クライアントの意向を反映させるのが前提)なのは当然ですから、データ解析結果を提示する場合には、集計(加工)後のグラフや数値表を出すだけでなく、少なくとも、生データや調査票の原票(アンケートの質問項目すベて)を明らかにしておかないと、「記述内容に対し、他者に判断を委ねるための情報」が不足しており、読み手に記述内容を判断してもらう書としては不適切です(←ここ、断言しておきます)。

 しかも、そうした「読み手が中立的思考で物事を考えるためのアシスト」が無い結果、この書に対する評価は盲従的な高評価と排斥的な低評価に二分され、中立的な立場からの考察がほとんどされないという「感情的な水掛け論」の状況が生まれていると思います。
 実際、私が見た書評の限りでは、この書を高く評価する人たちは、批判的な意見をもつ人たちを「下流の人間が、気まま勝手に生きることを否定されて必死になっている」という感情的な評価に走り、批判的な立場の人からは、肯定的評価に対し「若者世代を差別的に見下した見解を正当化するために、もっともらしいデータを引用もしくは加工しているだけの内容に盲従できる見識を疑う」という感情的な評価に走る傾向があるように受け取れます(それにしても、どちらも極端な意見ですな ^^;)。

 こんな意見の応酬が、進歩的討論でないことは、誰の目にも明らかでしょう。
 この状況からは、「世間を煽って本を売る」という目的は達成できても、「本書に示した内容をもとに、今後の社会構造のあり方を真剣に議論する」という方向の目標達成には程遠い結果になっていると言わざるを得ません。
 このあたりを、筆者はどう捉えているのでしょうか?

 とりあえず、本書に対しては、ここまで書いてきた内容が是正されない限り、私の中では、最初に述べた感想が変わることはありません(←ここも断言しておきます)。

 まあ、私が唯一、共感できたのは、若者がフリーターやニートに陥る心理の部分です・・・が、これとて、既に他の書物などで何度も語られていることですから、特に目新しいものでも、長々引っ張れる話題でもなかったですし・・・。
 「ここから新たな階層社会が生まれようとしている」と言われたって、所詮は筆者の仮定の話でしかないし・・・。

 何というか、結局、「だから何?」という読後感しか残りませんでした。

 というか、この本って結局、筆者の「仮説」を表現したものですから、考察的な部分は文末を全て「かもしれない」に脳内変換しないと、筆者の正しい見解として読めないんですよね?
 ・・・めっちゃ読みづらいって(^^;)。

 では、[more...]前文章の最後に。
 「自分らしさを探す」ことを「何もしない」ことの言い訳(口実)にしてフリーター生活に逃げていては、最後まで「何もできない人間にしかなれない」という点には大いに賛同します。

 ただし、「派遣社員」を同じカテゴリーに押し込むことは反対です。
 派遣社員の皆様の中には、結婚退職し、育児がある程度落ち着いた主婦層の皆様や、一度定職から身を引いた人が、再び仕事に出る手段としてこの制度を使っている場合が少なくありません(私のまわりにいる派遣社員の皆様には、正社員転換試験にチャレンジする人も多いです)。
 だから、「派遣だから腰かけ感覚であり、進歩性がない」というのは大きな間違いで、彼ら・彼女らは「正社員」に近しい「進歩的意識」を持っている人たちだと考えるべきだと思います。

 (そのほか、まだまだ続きますが、我ながらどうでもいい内容を含みます。興味のある皆様は[more...]以降をどうぞ)
 では、ここからは[more...]以降。
 『どうでもいいこと含みでまだまだ続く、ながーいお話』です。

 私見ながら、この『下流社会』という本が、決定的に「だから何?」レベルに思える要因を指摘しておきましょう。

 この書内における筆者の「進歩的職業像」ですが、何度読み返しても「金融、証券、商社勤務」という文系総合職の分野しか念頭にないようで、「自然科学産業、学究者、建設・建築系職種、技術系エンジニア」などの「理系総合職」に対する考察は、全く含まれていないように思われます。
 これでは、「日本の社会構造の変化に対して警鐘を鳴らす目的の書」としては、大きな欠陥を抱えているとみて間違いないでしょう。

 現代社会は、文系総合職だけで動いているのではないことは、誰の目にも明らかなはずです。しかし、全体の話の流れを見ていると、理系総合職の世界観に関しては、筆者の(経歴的にみて)苦手な世界だから言及を避けているか、踏み込もうとしていないだけに見えます。
 だから、理系総合職に近い職種に就いている私から見れば、「なんだか薄っぺらい考察だな〜」という感じにしか受け取れません。

 まあ一応、筆者のカテゴライズで言えば、ロハス系思考人が理系総合職タイプを表しているように感じられますが、ロハス系思考人は、エグゼクティブ系思考人やミリオネーゼ系思考人より出世意欲が低く、「下流寄り」とされている時点で、文系総合職を至上とする、筆者の視点の偏りが出ています。
 そりゃ、一生の間に仕事で動かす「金」の額(数字)の大きさでは、文系総合職の方が何倍も大きいのは間違いありません(それが仕事ですから)。
 しかし、「物を作り、社会に新たな価値観を提供する」のは理系総合職の方が何倍も得意であり、その成果は時として、金銭価値に換算不能な大きな足跡となることも忘れてはいけません。

 という書き方をすると、「じゃあ、理系人間の進歩性って何だ?」と聞かれると思います。
 まあ、私の認識では、自分の仕事の成果物(建設・建築物、機械、ソフトウェアなど、自分が作ったもの)を名刺代わりに示して、「これが私の仕事です」と胸を張るとともに、「より社会や人々の役に立つものを作るために、専門知識を高めるとともに、身に着けた知識を応用して社会に還元するスキルを身に着ける努力を続けること」でしょうか?
 そして出世や収入は、努力の結果として付随してくるものであり、それが目的ではない所が、文系総合職とは大きく異なる部分になります。
 つまり、「俺は○年で昇進して、今では年収がン千万だぞー!」という自慢より、「俺の作ったこの製品は、ン万人の生活を豊かにしているんだぞー!」という自慢の方に、何倍も価値を感じる、という言い方のほうが理解されやすいでしょうか?
 (だから、私にはホリエモンは、言われるほど大した人物には思えない。まあ、以上の部分は、私の理解&認識の限りの話です。私以外の理系人に聞けば、また違う答えになると思います)

 ついでに言えば、本書の中で「上流」の見本として取り上げられる「エグゼクティブ」や「ミリオネーゼ」の姿は、見事なまでにバブル全盛期、つまり筆者が若かりし頃の「デキる商社マン像」そのもの(つまり、今となっては古臭いビジネスマンの姿)でしかないことに、筆者自身が気付いているのかどうか・・・。
 「上流」意識をもつ人ほど、バブル期に大発生した、流行を追いかけ、雑誌から切り抜いたような「お約束スタイル生活」を求める「マニュアル思考人間(他人が「これでよい」と定めた価値観に乗っかっていれば安心&充実と考え、それに盲従する人)」が多い図式になっており、そういう人間ほど現代の実社会では嫌われる傾向があることを、筆者はどれだけ意識しているのか・・・。
 (こういう所を読むと、筆者の人間像や幸福観、生活充実度の認識は、バブル時代のまま止まっていないか、ちょっと心配してしまう・・・)

 とにかく総合的に見て、さらに突っ込んでまとめるべき課題が山積していながら、無理に(仮定レベルでの)結論を導こうとして、データの羅列に終わった書、という感じにしか読めませんでした。
22:23:00 | yo-ta | | TrackBacks
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